レズで発達障害で。

発達障害(ADHD)で、同性愛者のわたしの毎日。あなたの暇つぶしに、心の糧に。

今日の体調(コンサータ18mg×1)

こんにちは、るちるです。

今日は土曜日なのでコンサータを普段2錠なところ1錠にて過ごしてます。やっぱり1錠では、わたしにはエンジンがかかりにくいというか、午前は潰す気でいないとムリ。(個人差はありますよ!絶対に!)2錠でようやく普通の人並みに動ける感じ。誰かのブログでいつか読んだ気がするのですが、「発達障害の人の体は、常に健常者の微熱がある状態の体調である」という話はあながち間違いじゃないっていうかガチ。

 

さて、今日は就労支援施設に行ってきたわけですが、くやしい話とか色々お伝えしたところ、全部受け止めてくださって大変うれしかったです。それとあわせて解決策も提示してくれて、本当に救われました。

 

これから仕事をやめて就職活動(しかも障害者枠)というのは非常に不安ではあります。人生で初めて、障害者枠というところでの就職なわけですし、採用されるのかなぁとか色々考えます。だけど、わたしはこれから、きちんと長く続けられる仕事をやりたいと、切に思っています。そしてそれを考え出したタイミングで、仕事で体調を崩し、支援施設の方に出会い、妻の仕事が決まり、と、パズルのピースのように全てが揃ったので、これはもう必然と思って退職することにしました。

今日も、思うところがありさっきまで泣いて過ごしていましたが、気持ちも落ち着きまして今こうしてブログを書けています。

 

連休明けたら通院&会社に報告です。

ちょっと同性婚の話をさせてほしいんだが。

こんばんは、るちるです。

次回は障害者手帳の話とか言いながら、今日は奥さんの話をしようと思います。奥さんって言ってもわたしも奥さんなんですが。つまり同性婚です。

 

生まれてから妻と会うまでの間、約30年間、わたしは男性としかお付き合いしたことがありませんでした。だけど女性に好意を持つことはしばしばあったし、単純に交際の機会がないだけだと思っていました(「わたしって普通じゃないかも」とか悩んだことは一度もありませんでした)。どっちかというと、男性とお付き合いしてもうまくいかないことに悩んでたかも。

実は妻は、わたしが最後にお付き合いしていた男性の友人なのです。よって、3人で遊んだりすることもありました。でも結局その時の彼氏とは別れちゃうんですよね。当時すごく落ち込みましたが、そんな時、妻に飲みにつれてってもらったりして助けられたのでした。

妻はわたしの住む街とは車で3時間くらいの遠方に住んでいましたが、時々会いに来てくれるのがすごくうれしかったです。妻は二歳年下でしたがとても大人びていて美人で、話していてとても楽しい子でした。

ある日妻と食事に行った時、非常に重い雰囲気で彼女はわたしにこう言いました。

 

「ずっと隠してきたんだけど私…女の子が好きなの…」

 

( ^ω^)!?

えっマジでうれしい←

 

と思わず言ってしまったくらいにして。。

自分も女の子が恋愛対象なのは同じだったし、なにより秘密にしていたことを自分に話してくれたのもうれしかった。あと自分にもワンチャンあるでと思えたのも←←←

そこからちょっとしたことがきっかけでお互い意識するようになってお付き合いが始まり、妻がわたしの住む街に引っ越してきてくれて、結婚したわけです。この辺はまた今度詳しく書くとして…

 

結論から言って、日本でいうところの結婚ではないのですが、様々な法律や条例や契約を駆使して、結婚と同等の状態にしているというのが今の現状です。まずここで大きく味方してくれるのは「行政書士」の方です。日本で今同性婚をするなら、この3つは必要になってきます。

 

①婚姻の契約書を作ってもらう

法的な拘束力はありませんが、いわゆる婚姻届に近いものです。お互いの署名と捺印、証人を付けることもでき、最終的に行政書士さんから印鑑を頂きます。

これがなくてはやっぱり気分も出ない。笑

 

②婚姻の約束文章を作ってもらう

①同様法的な拘束力はありませんが、お互いの今後の生活についての決め事を記した書面です。家事から離婚についてまでいろいろ。

 

③任意後見契約を結ぶ

ここでやっと将来に関する部分になってきます。お互いにもしも何かあったとき、財産などをこの人にお願いしますというのを生前のうちに決めておけるものです。これによって、自分の意識がなくなったときや認知症になって判断がつかなくなってしまった時に相手に色々と判断を委ねられるというものです。基本的には締結したことは調べなければわかりませんので、プライバシーとかの面でも安心だと言います(親に言えない当事者の方とかもいるでしょうし…)

 

非常にわかりやすくまとめてくださっているページです。↓

religioncon.web.fc2.com

 

とまぁざっと書いてみましたが日本で同性婚するにはやっぱり色々必要なんですよね・・・( ^ω^)・・・しかも結婚とはみなされないケースも多く差別意識も強いのが事実だと思います。ハァ…

それでも今、年によってはLGBTの支援を進めていたり、市民団体の支援や企業のアライなどによってどんどん変わってきています。

一個人としてはオリンピックに向けたポーズもあるんだろうなとか穿った見方をしてしまうこともありますが、それでもこういうことが進むのはいいことだと思っていますし、純粋にうれしいです。そしてここまで面倒なことをしても一緒にいたいと思えるし、そう思ってくれているであろう妻には感謝しています。

 

わたしの障害を受け入れてくれて一緒にいてくれる妻は本当に無くてはならない、愛しく優しい、わたしの人生になかった存在です。

苦労をかけるかもしれませんが、これからもずっと一緒にいてほしいと思っています。

 

 

 

忙しい人のための「障害者自立支援法(とは)」

るちるです。

前回の更新から1週間近く経過してしまったことに驚き。そして前回「暖かくなってきましたね」とか言ってましたが、今日わたしが住む街では大雪でした。…もう春とか何なのそれ食べ物?っていうくらい暖かさに縁のない北国です。風が目に染みて涙出てくるとかいうレアな経験が出来ちゃう土地なんだぜ(しなくていい)

 

さて、今日はタイトルの通り、みんな気になる障害者自立支援法について。

いざ発達障害と診断されたところで、それに対する補助がなければやっぱり心細くなりますよね、、というわけで。

 

障害者自立支援法

障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律 - Wikipedia

…(長い)

そう、これは通称「障害者自立支援法」であり、正式名称は障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律というんですね。長い(二回目)

具体的な中身は…

厚生労働省:障害者自立支援法案

うっ…うおおおおおおおwwwwwww長いwwwww(三回目)

…ので、すっごーくシンプルにかいつまんで一番大切なところを言うと、これが適用されると医療費の負担がぐっと下がります。具体的に言うと、普通の医療費が会社だのなんだのの保険に入って3割のところを、なんと1割で受けることが出来るというものです。診察代だけではなくお薬代もなので、これはうれしい。発達障害のお薬は、コンサータをはじめ高額なものが多いのでとても助かりますね。わたしも以前は7000円近くかかっていた薬代が、これによって2500円くらいで済んでいます。所得によって月の上限負担額も違ってくるようなので、詳しくは市町村の福祉課へ。

どのようにすれば受けられるかというと、先生に診断書を書いてもらって、必要書類をそろえて市役所へ。手帳と同時申請もできるようです。審査後、1か月ほどで(通った場合は)こういうものがもらえます。

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日付が書き込めるようになってて、ここに通院した日付を書いていくわけですねー。

…とまぁすっごくサラッと書いたわけですがなんかこういういいまとめを全部書いた後に見つけちゃったよ!チクショー!

matome.naver.jp

そんなわけでまた次回お会いしましょう。次は多分手帳の話とかします(多分←

コンサータが親友です。

こんばんは、るちるです。

めっきり暖かくなってきましたね。寒冷地と定評のあるわたしの街も、ここのところは春らしい空気に満ちています。

 

さて、タイトルの通り、今日は服薬のお話です。

 

 

じゃん。 

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コンサータ:36mg

エビリファイ:3mg

・塩酸リルマザホン(リスミー):3mg

ワイパックス:0.5mg

飲み始めてどれも半年くらい。

レパミピドは一緒に撮ってみたけど胃薬です。笑

そしてロラゼパムも撮ったけどこれワイパックスと同じや(;^ω^)…

こういううっかりミスが本当多くて困ります←

ここから先は個人的に飲んだ気持ちを書くので、参考までに。個人差はあると思います。

 

コンサータ

わたしの場合、主な症状は眠気と、難しい話が理解できない、その場に合わせて行動できないなど前述(前の記事)の通りなのですが、このコンサータがすごく効いてくれています。とにかく集中力が上がり、眠気もだるさも無くなるのです。始めは16mg(一錠)からでしたが、それでも劇的に世界が変わった感じがしたのを覚えています。

 

え?世界の音とか色ってこんなにクリアなの?

体ってこんなに軽くなるの?

 

本当、これに尽きます。こんな経験は初めてでした。逆に飲み始めてから、「この感覚をもっと早くに知りたかった…」と痛感しました。まぁ時間は戻らないんで今この感覚を知れただけでも良しとしましょう、うん。副作用はあまり感じないのですが、徐々に効きにくくなる感じがするので休薬期間を設けてます。土日は飲まないとか。でもそれはそれで反動が酷くて、飲まないと一日つぶす勢いで眠りこけてしまいます。これが無いと生きていけないです、マジで。

www.interq.or.jp

販売されなくなった「リタリン」と似てるとかそうでないとか。

 

 

エビリファイ

何が利いてるのかよくわからないが、発達障害に有効なお薬らしい。飲み続けることが大切らしいのでこれも半年くらい。

www.interq.or.jp

いろんなことに使えるお薬なんですね。

 

 

③塩酸リルマザホン

悪夢に悩まされる毎日。熟睡するために処方されることになった眠剤です。これを飲むと即寝落ち…というわけではないですが、すっと眠れる気がします。目を閉じれば眠れるし、開けていれば起きていられるといった風に、眠りをコントロールできる便利な薬のようなイメージです。

www.interq.or.jp

リスミーの名前でおなじみ。

 

 

ワイパックス

全般性不安障害の診断をもらってからお世話になっているお薬。頓服的に飲んでいますが、やんわりじんわり効いてくる感じ。でも1日飲むと次の日もちょっとしたことで飲みたくなるような、クセになる感じがあるのであんまり頼らないようにしています。人が多いところに行くときは飲むとかそういう感じ。。

 

というように、コンサータがないと(社会人として)生きていけないんです。早い話。これはある意味、神様にものすごいハンデを負わされたなと思うのですが、そんなこと言っても仕方がないのでこれを飲んで働きます。でもね、この「健常者の感覚」というものに、そして自分の発達障害に、生きているうちに気づけて良かったと思います。だって世界は思ったよりずっと楽しかったと感じられるので。

 

わたしもそうだったのですが、眠気に悩まされている人は、ナルコレプシーだけを考えずに、発達障害を疑ってみてもいいかもしれません。いずれにしても、一人で悩まずにまずはお医者さんに相談してみることをおすすめします!

 

わたしが発達障害?(っていうか何それおいしいの?)その③

るちるです。

前回は「現在のわたし」とか言いながら26歳までしか追えてなくてすみません(現在31歳)。今日でこのシリーズも完結です!

 

 

26歳~30歳

あらゆる環境で、最初はうまくいく、けど、続ければ続けるほどダメになる。

どんどんボロが出てくるというか、空気が読めない、変わってる、トロい、全てが社会人のマイナス要素。どこへ行っても必ずこのような印象を持たれてしまい、同じ場所で長く頑張るということができませんでした。そこそこご縁はありましたが、最終的に付き合う男性は、みんなが「なぜ?」というような人ばかり。そのうちの一人に暴力を振るわれ、実家に戻ることになりました。

そんな自分でしたが転機が訪れます。友人の紹介がきっかけでフリーのライターとして軌道に乗り、連載も持つようになりました。昼はOLとして働き、帰ってからと土日はひたすら執筆。地方都市⇔東京の移動も多く、体はつらかったですが、今までの人生にないほど充実していました。

しかしそんな期間も長くは続かず、昼働いていた会社が解散。慌てて再就職したのが今の会社でした。

 

 

 

そして発達障害と診断され…

入社後すぐにまた体調を崩します。副業が禁止だったためライターの仕事を泣く泣く手放し、毎日なんとなく出社→帰って寝るの繰り返し。ある日この上ないほどの眠気に、もう生きることへの限界を感じ、疎遠になっていた母に泣きながら訴えました。

 

もう無理!わたし、なんでこんなに普通の人とちがうの!?

 

母は最初、相手にしてくれませんでした。30過ぎたいい大人が、何を泣いてるのと。しかし鬼気迫る表情のわたしを見て、これはヤバイと気付いたそうです。

「あの時のあんた、今にも自殺してしまいそうだったから」

(まぁそんな思い切りなんてするはずもないのですが、母は今でもそう言います。)

 

こうして母に連れられてメンタルクリニックへ。

てっきり鬱だと思っていましたが、最初の診断は全般性不安障害というものでした。

 

medical.yahoo.co.jp

その頃の自分と言えば

・彼女(この頃はまだ妻ではなかった)から連絡がこない、死んでたらどうしよう

・お店で商品を見ている時、万引きしたと思われたらどうしよう。

・過去の望まないセックスで、HIVに感染していたらどうしよう。

・ていうかそれがきっかけでレイプされたなんて彼女にバレたらどうしよう。

・職場に自分のことを殺そうとしている人がいたらどうしよう。 etc…

 

とにかくありえないことを考えては、不安にかられ続けていました。

不安はどんどん浮かんでは消えていきます。謎の背中の痛み、胃痛、悪夢になやまされていたわたしにとっては、説明してもらって納得のいく診断でした。

最初に処方されたのはレクサプロ。とにかく抜け毛がひどく寝汗がすごいという謎の副作用に悩まされ、治らない眠気と戦っていたある日…

 

発達障害のテスト(CAARS)してみようか」

 

adhd.nerim.info

と先生が仰いました。なにそれ?ピクサーの映画か?と思いましたが、これが発達障害を診断するテストなんですね。

 

こうしてテストを経て、発達障害の診断が出たわたし。

自分の障害に気付くまで、31年。

思春期も、青春時代も、何もかも苦痛のまま過ぎていった自分に、とどめの一撃…に思えますが、わたしにとっては、本当に、心からの救いでした。

 

みんなと違うって感じていたこの違和感は、発達障害だからだったんだ。

 

もやもやしていた心に一筋の光が差したようでした。

治療の日々のスタートです。

 

 

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わたしが発達障害?(っていうか何それおいしいの?)その②

こんばんは、るちるです。

昨日の続きということで、高校生から大人になって現在に至るまでのわたしについてです。

 

中学生~高校時代

なんとか丸暗記で高校受験を乗り切りましたが、まったくもって数学が苦手。地元の進学校(一応)に進んだ自分は、入学した途端に落ちこぼれました。

数字を見ているだけで頭がぼんやりしてきて、テストで0点なんてこともザラ。一方で英語や国語は得意なので、先生方には手抜きしているように思えたのでしょう、よく怒られていたため、自己評価もどんどん低くなっていきました。

家でも癇癪をおこしたり、気難しい子と思われることが増え、母親はわたしと距離を置き、妹を可愛がるようになっていきます。

更に追い打ちをかけるように、高校ではイジメられるようになりました。体育の授業の創作ダンスの時間のことでした。体の慢性的なだるさと頭痛はもちろんのこと、体育館にある大きな鏡を見て振付をするのですが、一人だけそれがいつまでも出来なかったのです。左右の概念がとにかくわからん。

adhdmother.main.jp

…。これ、自分だけかと思ってたんですが、似たようなことがあるんですねぇ。

よく「踊ってみた(左右反転)」ってあるじゃないですか。。。あれもいまだにピンときません。せっかくなら、踊っている後姿で左右反転無という映像が欲しい。w

 

とまぁこんな感じで中高時代は学校からも家庭からも孤立していき、初めてできた彼氏だけが心のよりどころでした。が、またこの人に過剰に依存してしまうので良くないんですよね。。。というわけでまだこの時は自分が発達障害だとは夢にも思わないのでした。

 

 

大学時代、社会人序盤

大学に入ってからも、だるさは続きます。受験の末、地元の私立女子大に入学しますが、だるさが幼少期の比にならないほどひどく、いつもぐったり、講義もゼミも寝てばかり。バイト先に行くだけで大仕事といった感じでした。着いたらもうヘトヘトで、仕事になりません。会社も推薦で大手家電メーカーに就職しますが、そこでも女性の先輩からのイジメに遭い、毎日の罵詈雑言はもちろん、挙句の果てに口の中を切るほどに顔を打たれるなどして1年半で退職。(当時はパワハラという言葉もなく、ただただ我慢していました)一人暮らしを始め、家族の邪魔にならないようにと思っていた矢先でした。その後職業訓練校を経て就職するも、激務で体調を崩し、ようやく異変に気付き始めました。

 

☆そもそも、この眠気は何だ?

昨日分から記載している通り、わたしは激しい眠気に悩まされていました。2社目の会社は立ち仕事でしたが、立ったまま寝てしまう自分に対し、ようやく

わたし、おかしいかも!!

と思い、(早く気づけよw)睡眠科のある病院に検査入院することになりました。

が、結果は「長時間睡眠者」。

ロングスリーパー - Wikipedia

 

 

( ^ω^)・・・(なんか違う)

 

というわけで自らの発達障害をまだ見逃してしまうことになるのでした。

この時26歳。まだまだ険しい道が続きます。

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わたしが発達障害?(っていうか何それおいしいの?)その①

こんばんは、るちるです。

奥さんとお茶していたらこんな時間になってしまいました。

 

…妻のことはまた今度書くとして。

 

今日は、わたし(31歳、女)が発達障害と診断されるまでを簡単に振り返ってみたいと思います。

 

幼少期

地方都市の中流家庭に4人家族の長女として生まれたわたし。

特に不自由なく過ごす…とでも言いたいところですが、不自由だらけのこの体。

まず第一に、常に頭痛に悩まされてきました。

なんだよコレ!!幼稚園児ってこんなに頭痛い生き物なのかよ!!

他のお友達はみんな元気にお外で遊んでるというのに!!と常に思っていました。

頭が痛くて動けない。だるい。結果、運動音痴になる。の悪循環。

とにかく外遊びが大嫌いでした。

(卒園の頃は開き直ってヘドバンしながら「こうすると頭痛くなる!」って言ってました←)

一方で何か一つのことに熱中すると周りが見えず、好きなことに関しては膨大な知識を持っていました。このころなぜか恐竜にハマっていたわたし(なぜだ…)。

図鑑一冊を丸暗記するほどで、両親は「なんて賢い子だ!」と喜んでいたそうです…。

 

小学校

相変わらずの頭痛、だるさ、加えて眠気。

この頃から授業中うとうとなんて日常茶飯事でした。

友達とだんだんコミュニケーションがとれなくなってきたのもこの頃。小学生の女子っておませだから、ウワサとか大好きじゃないですか。それに入れないんです。ノリについていけないっていうか。で、ハブられる。子どもって子どもなりに残酷ですよねー。

まぁでも学校の成績も普通で、「ちょっと変わった子」くらいで済んでた気がします。

 

しかし高学年になったある日、担任の先生からわたしの母親に電話が入ります。

 

「るちるさん、6年生にもなってホウキの使い方がわからないようなんですが」

 

母はとっさに「そういうこと(発達障害)ですか?」と聞き返したところ、先生は

「いえ、単純にどういう教育をされているのか気になったもので」と仰ったそうです。(これもなんかすごい言い方だなw)

とにかく、ホウキを持たせても( ゚д゚)ポカーンな顔で立ちつくし、初めてゲットしたアイテムをどう使っていいかわからないRPG初心者のように次の動作に進まないんだそうで…先生が「こうやって使うんだよ」と手本を見せても使えない。(これは次回書く部分に関係してきますが、人の動作を同じように真似できないというわたしの特性です。)

発達障害じゃない」と母はホッとした半面恥ずかしく、わたしにホウキの指導を厳しく行いましたとさ!

 

ホウキじゃない!問題は!!(現在の自分より)

 

というわけでその②に続くよ!

 

 

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